アルプスの山岳地帯エンガディン地方の世界的に有名な銘菓は、実は古くからある地元の菓子と、出稼ぎから戻った職人が持ち帰った異国の素材を掛け合わせたものでした。



スイスのお土産菓子と言えば、クルミがたっぷり入ったEngadiner Nusstorte(エンガディナーヌストルテ)。スイス東部に位置するグラウビュンデン州エンガディン地方の銘菓で、タルト生地と同じような食感のミュルベタイグMürbeteigと呼ばれる生地で、たっぷりのクルミと生キャラメルを詰めて焼き上げられたものです。名前のEngadinerは「エンガディン地方の」という意味で、Nussはナッツ、トルテTorteはケーキの意味です。
エンガディン地方のHPでも貴重な地方料理の一つとして紹介されています。
エンガディン地方の観光HP https://www.engadin.stmoritz.ch/

このエンガディーヌをお土産で頂戴し、また後述の思い出もあり、スイスは材料となるクルミの名産地とすっかり信じていました。お土産をくれた知人もそう考えていたようです。しかし、予想と反してスイスではクルミを作っていませんでした!この記事を書くにあたって調べ、スイスは寒さが厳しすぎてクルミは作れないことを初めて知りました。とはいっても知名度は絶大なおやつということで、今回のまちキッチン海外篇はこのエンガディナーです。

さて、私はエンガディナーには格別の思い入れがあります。実は就職して間もない頃、ドイツとスイスとイタリアのどちらにも程近いチロル地方出身のマイスターについて製菓技術を学びながら仕事をしていて、日々焼いていたのがこのエンガディナーでした。当時の新製品のおいしさを紹介するために、世界各地にある素材の味が生きた焼菓子を調べ上げ、代表的なお菓子を決めて、おいしいレシピと共に紹介していたのです。その一つがエンガディナーでした。とても素朴な見た目かと思えば、高級なヨーロッパの伝統菓子でもあり、クルミの味がしっかりとあって、日本人にも安定の外さない美味しさ。自らも大好きで、切り分けたサンプルの端切れを喜んでもらっていると、リスというあだ名をつけられたのを思い出します。当時はまだスイスに行ったこともなくお菓子作りしていたことから、地産素材を使ったお菓子と信じ切ったままでひたすら作っていました。

一方、日本国内のクルミも東北や信州地方など涼しい地方が名産地として有名なので、きっと寒冷地のスイスも自国産のクルミを使用しているに違いないと調べてみたら、違うようですね。実はエンガディン地方は寒すぎて、クルミはもう少し温暖でないと栽培されないそう。それでも銘菓として有名なのは、フランスやイタリアに出かけた菓子職人が持ち帰った素材であるクルミが、地元の生地と融合して、とても有名なお菓子として根付いたからだそうです。

お菓子としてのエンガディナーは、エンガディン地方で日曜日に家庭で食べられていた、fuatscha grassa(フアチャ・グラッサ)が由来で、これはバター量がたっぷりの非常にリッチなクッキーでした。ここにクルミを入れたお菓子として生まれ変わったのです。当初は素朴なバター菓子でも、ここにクルミが入ると一気に高級感のあるギフト的な焼き菓子になるからびっくりです。しかもフルーツやリキュールが入ることもなく、生クリームとはちみつでキャラメルのように煮詰めたクルミを包み込んだ、非常にシンプルなお菓子であるため、食べやすく、非常に大勢の方に受け入れられる素朴なお菓子として広まりました。高級店のお土産としても、菓
子店はもちろん、スーパーなどでも買うことができます。

そんなわけでエンガディナーは今では好き嫌いなく、子供から大人まで楽しめる焼菓子となり、世界中に広がりました。いつかスイスに出かけたときは、自分でショーケースを眺めて本場の味を選んでみたいと思います。


(取材・文 まちおやつプロジェクトメンバー)

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